東京地方裁判所 昭和58年(ワ)5990号 判決 1988年9月27日
原告 甲野一郎
<ほか一名>
右原告両名訴訟代理人弁護士 富永義政
右同 清水正英
右同 菊池祥明
右同 田島恒子
被告 小畑英介
<ほか一名>
右被告両名訴訟代理人弁護士 髙田利広
右同 小海正勝
主文
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは各自、原告甲野一郎に対し金八〇〇万円、原告甲野花子に対し金五〇〇万円、及び右各金員に対する昭和五八年六月一九日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行宣言。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文と同旨。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 当事者
(一) 原告甲野一郎(以下「原告一郎」という。)は、昭和五七年九月二一日、原告甲野花子(以下「原告花子」という。)が出産した子である。
(二) 被告小畑英介(以下「被告小畑」という。)は産婦人科を専門とする浜田病院の院長医師であり、同被告が理事を務める被告医療法人小畑会(以下「被告小畑会」という。)は、右浜田病院を経営する医療法人財団である。
2 原告一郎の出産と障害発生の経緯
(一) 原告花子は、昭和五七年二月五日、浜田病院において被告小畑の診察を受け、出産予定日を同年九月二六日と診断され、その後も同被告の指示に従って定期的に診察を受けており、母体、胎児共に健康な状態であった。
(二) 被告小畑は、同年九月一三日レントゲン撮影により骨盤計測を行った結果、原告花子が児頭に比較して狭骨盤の状態にあり、これが自然分娩の障害になるおそれがあると診断したが、出産予定日前に薬又は器具を用いる分娩誘導法を併用すれば自然分娩できるものと判断し、原告花子に対し、狭骨盤であるので出産予定日より早めに出産させる旨告知した。
(三) 原告花子は、被告小畑の指示に従って予定日より早い同月二〇日、浜田病院に入院した。被告小畑は、超音波断層撮影により児頭と骨盤の適合性を計測し、原告花子が自然分娩に適することを再度確認したうえ、同日午後八時二五分ころ、原告花子の子宮内にメトロイリンテルを挿入して分娩誘発を行った。原告花子は、同日午後九時ころ陣痛が発来し、翌二一日午前七時ころ、被告小畑の指示に従って分娩室に移り、直ちに陣痛促進持続剤の点滴注射を継続的に受けた。しかし、耐え難い激痛が継続高揚するのみで分娩に至らなかったため、原告花子は、被告小畑に対し帝王切開による分娩を求めた。それにもかかわらず、被告小畑は、かかる産科手術を施さなくても正常に分娩できる旨告げて陣痛を促進持続させたため、同日午後一時ころ、胎児はその心臓に欠損を生じ、心音不順の状態に陥った。
(四) ここに至り、被告小畑は、ようやく産科手術が必要であると判断し、鉗子分娩を採用したが、鉗子を胎児の両顎から両頬にかけて密接に装着しなかったため、右手術中に胎児の顔面から鉗子の右側面が外れ、この右側面が胎児の右眼球及び右額部を、左側面が胎児の左顎をそれぞれ強力に圧迫して、右眼球に角膜浮腫の、右額部及び左顎部に陥没の各損傷を与えた。被告小畑は、右状況を察知し、分娩介助に当たっていた看護婦等に鉗子が外れている旨怒号しながら鉗子を正常な位置に戻し、吸引分娩法を併用するなどして、同日午後一時三九分、原告一郎を出産させた。
(五) 右損傷により、原告一郎の右眼球の角膜は灰白色に混濁し、左眼に比べて視力が著しく劣り、また右額部及び左顎部の陥没は一見して明らかに識別できる状態にある。
3 被告らの責任
(一) 被告小畑は、原告花子の分娩介助に際し、次のとおり母体と胎児の健康に万全を期すべき産婦人科専門の医師としての注意義務を懈怠し、その結果原告一郎に前記各傷害を与えたものである。
(1) 妊婦の妊娠の状態を診察するについては、無理なく自然分娩できるか否かを予見し、不適合性があるときは産科手術を施すべき注意義務がある。しかるに、被告小畑は、原告花子の骨盤が狭骨盤であり、これが自然分娩の障害になることを予見していたのに、出産予定日前に分娩させるならば容易に自然分娩できると誤診して産科手術を施さなかった過失がある。
(2) 分娩担当医としては、陣痛を促進させる治療を継続中、産婦が激痛を伴う異常を訴えて帝王切開の施行を求めてきた場合、再度、自然分娩できるか否かを診断し、正常分娩が困難であるときは、胎児に対する異常を回避するために産科手術を施すべき注意義務がある。しかるに、被告小畑は、原告花子の帝王切開の要求により自然分娩が困難であることを認識し得たのに、胎児の心臓に異常が生じ死産に至る可能性が発生するまで、漫然と陣痛促進を継続した過失がある。
(3) 産科手術を採用するに当たっては、できる限り母体及び胎児に損傷を与える可能性の少ない分娩法を用いるべき注意義務があるのに、被告小畑は、鉗子分娩という、母体に対しては軟産道の損傷や出血等を、胎児に対しては頭蓋内出血、顔面神経麻痺、眼球の損傷等を惹起しやすく、近時は用いられなくなってきている分娩法を採用した過失がある。
(4) 鉗子分娩を施すときは、鉗子を胎児の先進部に密接に装着し、これが外れることにより胎児の眼などに損傷を与えることがないよう、出産に至るまで終始慎重に鉗子を操作すべき注意義務がある。しかるに、被告小畑は、鉗子を胎児の両顎から両頬にかけて密接に装着しなかったため、鉗子が外れて原告一郎の右眼球等に損傷を与えた過失がある。
(二) 被告小畑会は、本件事故当時、浜田病院において被告小畑を産婦人科医師として使用しており、同被告は、その事業の執行につき前記(一)の各過失により本件事故を惹起した。
4 損害
(一) 原告一郎が本件事故に起因する前記の受傷によって被った財産的及び精神的損害に見合う金額は、八〇〇万円が相当である。
(二) 原告花子は母親として、帝王切開を受けていたならば原告一郎にかかる傷害を与えずに済んだと日夜悩み苦しんでおり、その精神的苦痛は計りがたい。右精神的損害を慰謝するのに相当な金額は少なくとも五〇〇万円である。
5 よって、原告らは被告ら各自に対し、本件不法行為による損害賠償として、原告一郎につき八〇〇万円、原告花子につき五〇〇万円及びこれらに対する本件不法行為の後である昭和五八年六月一九日から各支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実は認める。
2 同2の事実について、(一)のうち、母体、胎児共に健康だったことは否認し、その余は認める。(二)のうち、昭和五七年九月一三日レントゲン撮影により骨盤計測を行ったことは認めるが、その余は否認する。(三)のうち、同月二〇日原告花子は浜田病院に入院し、超音波断層撮影により児頭と骨盤の計測を受けたこと、同日午後八時二五分ころ原告花子の子宮内にメトロイリンテルを挿入して分娩誘発を行ったこと、翌二一日午前七時ころ、原告花子は分娩室に移され、陣痛促進持続剤の点滴を受けたことは認めるが、その余は否認する。(四)のうち、原告花子が同日午後一時三九分原告一郎を出産したこと、原告一郎の右額部及び左顎部に鉗子による損傷があったことは認めるが、その余は否認する。(五)のうち、右眼球の角膜混濁の存在は認めるが、その余は知らない。
3 同3の事実について、(一)はすべて否認し、(二)のうち、被告小畑と被告小畑会との関係は認めるが、その余は否認する。
4 同4の事実は争う。
三 被告らの主張
1 原告の診療及び分娩経過
(一) 分娩前の処置
(1) 原告花子は、昭和五七年二月二日に初めて浜田病院を訪れ、岡田副院長から妊娠六週の診断を受け、以後分娩に至るまで一五回受診しているが、そのうち被告小畑の診察を受けたのは七回であり、二月五日が最初である。その間、五月一五日と七月八日には貧血により合計二八日間の増血剤の投与を、また七月八日と八月六日には膀胱炎のための投薬を、更に八月一三日及び同月二六日には妊娠中毒症(軽症)による浮腫、尿蛋白が認められたため食餌指導と合計一二日間の利尿剤の投与を受けており、そのほかにも八月二六日には尿糖(file_2.jpg)のため血糖値の検査(血糖値七八)を受けている。
(2) 浜田病院では、同年四月一六日に原告花子の骨盤外計測を行ったが、狭骨盤ではなく、全く正常な骨盤であった。更に、同年九月一三日骨盤レントゲン測定を行ったところ、骨盤入口部横径一一・六センチメートル、産科真結合線一一・二センチメートルという正常骨盤であり、また児頭と骨盤の間にも十分な余裕があり児頭骨盤不均衡は全く認められなかったため、児頭の骨盤通過は可能と判定した。
(二) 分娩第一期(分娩開始から子宮口全開大まで)の経過
(1) 原告花子は同年九月二〇日浜田病院に入院したが、その時点で妊娠三九週を越えており児頭の骨盤通過は容易な状態であり、また子宮頸部も成熟していた。他方、原告花子は同日も尿糖(file_3.jpg)であり、そのまま待機したのでは胎児が糖尿病のため過熟になる可能性もあり、また糖尿病で分娩予定日を超過すると死産率も高くなるので、陣痛誘発を行うことを決定した。そこで、念のため超音波断層撮影により児頭の大横径を計測し、経膣分娩の可能なことを確認したうえ、同月午後八時二五分メトロイリンテルを挿入して分娩誘発を行った。
(2) 以後、陣痛は順調に発来し、子宮口も順調に開大し、翌二一日午前七時一〇分メトロイリンテルが脱出した時点で、子宮口は七センチメートルに開大した。ここで陣痛が微弱となったので、アトニン五単位を五〇〇ミリリットル糖液に溶解し、一分間一五滴の速度で点滴静注を開始して陣痛増強をはかり、午前七時五七分人工破膜を行い、その後午前一一時三〇分子宮口全開大となった。
(三) 分娩第二期(子宮口全開大から胎児娩出まで)
ところが、分娩第二期に至って回旋異常が起こり、分娩第二期が遷延して二時間を経過し、児頭が骨盤濶部の下部まで下降して停滞したため、被告小畑は鉗子分娩により原告一郎を娩出させた。しかし、胎児心音は最後まで正常な状態を維持しており、このことは分娩経過図及び分娩監視装置の記録から明らかである。
2 被告小畑の判断、措置の妥当性
(一) 自然分娩を試みたことの妥当性
本件において、原告花子の骨盤は正常で、児頭との間に不均衡はなかったのであるから、自然分娩を試みたことに何ら問題はない。決して、狭骨盤であるのに無理に陣痛誘発を行ったものではない。
(二) 分娩第一期における対応の妥当性
帝王切開には、母体について麻酔や出血による死亡、術後の腸の癒着などの危険、胎児について呼吸障害や脳性麻痺の危険があり、必ずしも安全というわけではない。したがって、仮に原告花子が帝王切開を求めた事実があったとしても、産科医たるものは単に産婦の求めに応じて安易に帝王切開を行うべきではなく、学問的データに基づく判断に従って冷静に分娩を監視すべきであり、後記のとおり鉗子分娩を選択した判断に誤りはなかった。また、本件では分娩第二期の遷延によって結果的には産科手術がなされているが、右遷延の原因となった回旋異常は分娩第二期に入って分娩の進行状態を診察することにより初めて診断されるものであって、分娩開始前又は分娩第一期において予見するのは不可能であり、被告小畑には産科手術の施行を遅滞した過失もない。
(三) 鉗子分娩選択の妥当性
(1) 産科手術の必要性の存在
分娩第二期が遷延し、分娩進行が停止したときは、たとえ胎児心音が良好であっても、そのまま放置すると胎児仮死あるいは母胎圧迫症状(血尿、膀胱膣瘻等)をきたす可能性があるので、産科手術により胎児の娩出をはかるべきである。
(2) 産科手術の中で鉗子分娩を選択したことの妥当性
産科手術には、吸引、鉗子、帝王切開の三種類があり、児頭が骨盤入口部又は骨盤濶部の上部にあるときは帝王切開を、児頭が骨盤濶部の下部にあるときは鉗子を、児頭が骨盤峡部又は出口部にあるときは吸引を、それぞれ選択するのが産科学の常識であり、本件においては児頭が既に骨盤濶部の下部まで深く下降していたから、鉗子手術を採用したことはきわめて当然である。なお、鉗子分娩は現在、日本においても欧米においても広く使用されている産科手術である。
(四) 鉗子分娩術施術方法の妥当性
回旋異常の場合、鉗子は児頭と共に回旋することがあり、そのようなときは、一度鉗子を外して再びかけ直すことがある。本件においても鉗子を途中で故意に外したのであって、被告小畑の不注意により鉗子が外れたのではない。また、鉗子の片葉のみが手術中に外れることはあり得ず、仮にそのようなことがあれば、母体の腟壁に重大な裂傷を与えているはずであるが、かかる事実は存在しない。したがって、被告小畑の鉗子操作には過失がない。
3 因果関係
(一) 本件のように鉗子分娩によった場合、鉗子の当たった部位に分娩直後に圧瘢と表皮の損傷があるのは当然であって、これらは一週間以内に自然治癒するもので、特に後遺症となる程度のものではなく、本件でも数日後に自然治癒している。
(二) 回旋異常があるときの鉗子分娩術では、鉗子の先端が胎児の眼又はその付近にかかることはしばしばあるが、普通は眼球に損傷を与えないものである。しかるに、原告一郎の角膜混濁は、分娩直後に既に認められていたため、浜田病院において精査したが、角膜に外傷はなく、しかも、角膜に外傷があるときでも通常は数日後から次第に角膜混濁が起こってくるものであるから、原告一郎の角膜混濁が鉗子の外傷によるものか、原疾患(先天性角膜混濁症など)があったのか、あるいはそれらの競合したものかは確定し得ないというべきである。
四 被告らの主張に対する原告らの認否
1 被告らの主張1の事実について、(一)(1)のうち、八月二六日に尿糖(file_4.jpg)であったことは否認し、その余は認める。(一)(2)のうち、九月一三日にレントゲン撮影により骨盤の計測を行ったことは認めるが、原告花子の骨盤が狭骨盤ではなく、正常な骨盤だったことは否認し、その余は知らない。(二)(1)のうち、原告花子が九月二〇日浜田病院に入院し、超音波断層撮影により児頭の大横径の計測が行われたこと、同日午後八時二五分メトロイリンテルを挿入して分娩誘発を行ったことは認めるが、その余は知らない。(二)(2)は知らない。(三)のうち、胎児心音が最後まで正常であったことは否認し、その余は知らない。
2 同2の事実について、(一)は否認する。(二)は知らない。(三)(1)は知らない。(三)(2)のうち、産科手術に吸引、鉗子、帝王切開の三種類があることは認めるが、その余は知らない。(四)は知らない。
3 同3の事実について、(一)は否認する。(二)のうち角膜混濁が分娩直後からあったことは認めるが、角膜に損傷がなかったことは否認し、その余は知らない。
第三証拠《省略》
理由
一 請求原因1の事実は当事者間に争いがない。
二1 請求原因2及び被告の主張1の各事実(原告花子の分娩の経過)のうち、次の事実は当事者間に争いがない。
(1) 原告花子は、昭和五七年二月二日、浜田病院において岡田副院長から出産予定日を同年九月二六日と診断され、以後分娩に至るまで被告小畑による診察も含めて一五回浜田病院で受診したが、その間、貧血による増血剤の投与、膀胱炎のための投薬、妊娠中毒症を原因とする浮腫、尿蛋白に対する食餌指導と利尿剤の投与などを受けた。
(2) 原告花子は、同年九月一三日骨盤レントゲン撮影により骨盤の計測を受けた後、同月二〇日浜田病院に入院し、超音波断層撮影により児頭の大横径の計測を受けた。
(3) 同日午後八時二五分、被告小畑は、原告花子の子宮内にメトロイリンテルを挿入して分娩誘発を行い、原告花子は翌二一日午前七時ころ分娩室に移り、陣痛促進持続剤の点滴を受け、同日午後一時三九分鉗子分娩により原告一郎を出産した。
(4) 原告一郎の右眼球の角膜は分娩直後から灰白色に混濁しており、また原告一郎の右額部及び左顎部には鉗子による損傷があった(ただし、損傷の程度には争いがある。)。
2 次に、《証拠省略》によれば、原告一郎には現在、右眼角膜片雲(軽度の混濁)及び併発白内障の症状があり、かつ右額部及び左耳下の部分に外部から識別できる程度の陥没があること、右陥没部分は分娩直後に鉗子による圧瘢と表皮の損傷があった部位と一致しており、しかも頭部の相対する位置にあることから、右各部位に鉗子の先端が装着されていたものと推認されることが認められ、右認定に反する証拠はない。
三 そこで、原告らは、右二で認定した原告一郎の傷害は分娩介助に当たった被告小畑の過失に基づくものであるとして、被告らに不法行為責任があると主張するので、まず被告小畑の過失の有無について判断する。
1 原告らは、第一に、被告小畑は、原告花子が狭骨盤であってこれが自然分娩の障害になることを予見しながら出産予定日前に分娩させるならば自然分娩も可能であると誤診し、安易に自然分娩を試みた過失があると主張する。
(一) 《証拠省略》によれば、日本産婦人科学会の定義する狭骨盤とは産科真結合線九・五センチメートル未満、骨盤腔入口横径一〇・五センチメートル未満の骨盤を指し、外計測の数値としては外結合線一八センチメートル未満が目安になること、経膣分娩の可否に関しては、狭骨盤であるかどうかよりも、児頭と骨盤との間の不均衡(C・P・D)の発生のおそれが問題であり、産科医としてはC・P・Dが起こって難産となり、母体に損傷を与え、胎児に将来心身傷害を残すおそれのあるものに対して経膣分娩を強行してはならない注意義務があること、C・P・Dの診断は外計測や内診のみでは困難なことが多いが、骨盤のレントゲン計測は全ての妊婦に対してなされるわけではなく、既往症や外計測、内診によってC・P・Dの疑われる妊婦だけを対象に分娩時期が迫ってから行うこと、しかし、レントゲン撮影をした場合でも、必ずしもその数値が絶対的なものではなく、胎児は児頭の形を変え、骨と骨とを重ね合わせて縮まって娩出してくるため、経膣分娩の可否は最終的には医師の内診所見によって判断しなければならないこと、C・P・Dの疑いがある場合にはすべて帝王切開をすれば安全かというと、そうではなく、帝王切開は産科手術の中で胎児に及ぼす影響こそ少ないが、母体に及ぼす影響は最大であり、麻酔技術等の進歩した今日でもなお、麻酔や手術に伴う事故(たとえば子宮摘出)、術後の感染、腸管癒着、縫合不全、次回分娩時における子宮破裂やそれを防止するために再び帝王切開で分娩させざるを得なくなる事態の発生などの問題があり、問題のなさそうに見える胎児についても胎盤を通して移行する麻酔薬の影響や、産道を通過していないことが一因と考えられている呼吸障害(呼吸窮迫症候群)がみられることが認められる。
(二) これを本件についてみるに、前記当事者間に争いのない事実に、《証拠省略》を総合すれば、四月一六日における原告花子の骨盤外計測値は外結合線で一八センチメートルであったため、被告小畑はC・P・Dの可能性もありうると考えてレントゲン撮影をしたこと、その結果原告花子の骨盤は産科真結合一一・二センチメートル、入口横径一一・六センチメートルの正常な骨盤であって狭骨盤ではなかったこと、右レントゲン撮影による骨盤の計測結果は経膣分娩が可能な数値であり、被告小畑も右計測結果に基づき経膣分娩が可能であると判定したこと、九月二〇日の検査で原告花子の尿糖がプラス三になり、胎児が母体の尿糖で過熟して児頭の骨盤通過が困難となったり、また、胎児が糖尿病になって出産予定日を超過すると死産率が高くなるため、被告小畑は出産予定日前に分娩させることにし、同日、原告花子に分娩のため入院するように指示し、陣痛誘発を行うことを決定したこと、更に、被告小畑は、念の為、超音波断層撮影により児頭の大横径を計測(計測値一〇・一センチメートル)し、経膣分娩が可能であることを再確認のうえ、同日午後八時二五分メトロイリンテルを挿入して分娩誘発を行ったことが認められる。
《証拠判断省略》
右に認定した事実によれば、原告花子の骨盤外計測値が一八センチメートルであったため、被告小畑は、児頭と骨盤との間に不均衡がある可能性もありうると考えて、骨盤レントゲン撮影を実施し、産科真結合及び骨盤腔入口横径の計測結果から狭骨盤でないことを確認したうえ、右レントゲン撮影による骨盤の計測結果から経膣分娩が可能であると判断し、しかも、出産予定日を間近に控えて尿糖がプラス三となり、胎児が過熟し経膣分娩が困難となる事態が予想されるに至ったため、直ちに分娩させることを決意したが、分娩前に再度児頭の大横径を計測し、児頭と骨盤との間に十分な余裕があり児頭の骨盤通過は可能であると確認して経膣分娩を決断したものである。したがって、被告小畑が原告花子に対し自然分娩以外の産科手術を選択すべきであったとする理由は見当たらず、被告小畑が自然分娩を可能であると判断しこれを試みた処置は適切であったといえるし、他に、被告小畑の右処置が不適切であったことをうかがわせるに足りる証拠は存在しない。
2 原告らは、第二に、陣痛継続中に自然分娩が困難になったときには、胎児に対する異常発生を回避するため産科手術を実施すべきところ、被告小畑は、胎児の心臓に異常が生じ死産に至る可能性が生ずるまで、漫然と陣痛を継続し、産科手術を実施すべき時期を失した過失があると主張するので判断する。
(一) 《証拠省略》によれば、児頭が膣内に進入し娩出が可能な程度に子宮口が完全に開いた状態(全開大)から胎児が娩出されるまでを分娩第二期といい、初産婦の場合で分娩第二期の時間は一時間くらいを要するのが普通であること、産道は各部で大きさ、形を異にし、方向も彎曲していることから、分娩第二期において児頭が産道内を通過するとき、児頭は骨産道の各位置の形に適合するために一定の回旋をしながら下降してくること、すなわち、正常な分娩では、まず児頭の第一回旋で児頭は顎が胸部に接近して屈曲し、骨盤を通過して骨盤底に達し、次いで児頭の第二回旋で当初横向きだった児頭が九〇度回転して下向きになって(顔を母体の背中側に向けて)全児頭が娩出されてくること、ところが、ときに回旋が正常に起こらない場合(回旋異常)があり、その原因は不明で、また回旋異常を事前に予見することは不可能であること、もっとも、回旋異常は陣痛が継続し胎児の心音に異常がない限り、自然に正常な回旋に回復する場合が多いこと、初産婦の場合、二時間を越えた場合を分娩第二期遷延といい、胎児の仮死や母体の膀胱膣瘻(膀胱と膣の間の組織が長い間圧迫を受けることによって壊死し穴があく症状)等の危険が出てくるため、産科手術が必要になることが認められる。
(二) これを本件についてみると、前記当事者間に争いのない事実に、《証拠省略》を総合すれば、九月二〇日午後八時二五分のメトロイリンテル挿入により、原告花子は同日午後八時四八分に陣痛を開始し、その後メトロイリンテル脱出、人工破膜、アトニンの点滴などによって陣痛は順調に持続増強し、翌二一日午前一一時三〇分には子宮口全開大となり、そこまでの分娩第一期の経過は順調だったこと、ところが、分娩第二期に入って一時間を経過した同日午後〇時三〇分になっても第二回旋が正常に起きなかったため回旋異常と診断され、分娩が遷延するおそれが出てきたこと、それでもなお胎児心音は正常だったため、被告小畑は胎児心音と陣痛の状態を見ながら回旋の正常化を待っていたこと、しかし、回旋は正常化せず、同日午後一時ころ導尿の際血尿が見られたため、被告小畑はこれを膀胱膣瘻の前兆と考えて鉗子分娩を実施することを決断し、同日午後一時二四分から鉗子分娩に着手したことが認められ、右認定に反する証拠はない。
右に認定した事実によれば、分娩第二期において回旋異常が生じたが、多くの場合自然に回復することから、本件でも被告小畑は胎児心音を確認しながらしばらく様子を見ていたというのであるから、できるだけ自然分娩させようとした被告小畑の右措置を不当とする根拠はなく、また子宮口全開大から二時間経過しないうちに第二期遷延の診断を下しているのであって、時間的に手当が遅れたと認めることもできない。なお、《証拠省略》によれば、原告花子は、分娩介助に当たっていた看護婦の会話から帝王切開を受けるものと感じて、看護婦に対し帝王切開をするのなら早くしてほしい旨申し出たことが認められるが、右事実は被告小畑の取った措置の当否に対する判断を左右するものではなく、他に、鉗子分娩を決めるまでの同被告の判断、措置に過失があったと認めるに足りる証拠はない。
3 原告らは、第三に、鉗子分娩を採用した点に過失があると主張する。
(一) まず、産科手術に吸引、鉗子、帝王切開の三種類があることは当事者間に争いがない。
(二) 次いで、先に1(一)で認定した事実に、《証拠省略》を総合すれば、次の事実が認められる。
(1) 産科手術を施すかどうかを決める場合、手術をするのに適した状態(適応)があり、かつ、手術が許される必要条件(要約)が満たされている必要があり、これらが厳重に守られるべきである。したがってどの産科手術を選択すべきかという問題の前に急速遂娩を必要とする状態が存在しなければならず、かかる急速遂娩の適応としては①心・肺疾患などの一般合併症のため母体への負荷を軽減する必要があるとき、②重症妊娠中毒症、③母体の著しい疲労や発熱、④分娩遷延(ただし、微弱陣痛による遷延の場合は、導尿、排便、子宮収縮剤の投与などを試みて、なおそれらが有効でないとき)、⑤胎児仮死などがある。
(2) 鉗子分娩とは、産科鉗子を用いて産道内の児頭を把握、牽引する産科手術であり、急速遂娩の方法のうち、鉗子分娩術と吸引分娩術はいずれも経膣分娩であり、その要約はほぼ共通しており、①児頭が骨盤濶部(骨盤の中間部分)もしくはそれより下降していること、②子宮口が全開大していること、③破水していること、④胎児が生存していること、⑤成熟に近い胎児で正常児頭であること、⑥C・P・Dがないことなどである。鉗子分娩術と吸引分娩術のいずれを採用するかは医師の裁量にまかされるべき問題である。両者を比較すると、吸引分娩術の方が母体に与える影響が少なく、技術的にも容易であるが、児頭が骨盤濶部に深く嵌入してはいるが未だ骨盤峡部に達していない場合には、吸引あるいは吸引カップの滑脱を繰返したりすると胎児に帽状腱膜下出血や頭皮剥脱等を与える危険があるため、鉗子分娩術を採用すべきであり、逆に、児頭が骨盤峡部あるいは出口部まで下降しているときは、まず吸引分娩術を試みるべきである。現在では以前に比べると鉗子分娩術の頻度は減少してきているが、吸引分娩術を用いれば鉗子分娩術は不要になるとまではいい難く、現在でも鉗子分娩術は利用されている。
(3) これらに対し、帝王切開は、児頭が未だ骨盤に嵌入していないとか嵌入しても高い位置にあるときなど、鉗子や吸引の施行可能な段階まで分娩が進行していないにもかかわらず急速遂娩を必要とする場合に行われる。
以上の事実が認められる。
(三)(1) まず、本件における急速遂娩の適応について検討する。
先に2(二)で認定した事実によれば、分娩第二期が回旋異常のために遷延し、子宮口全開大から一時間三〇分以上たっても第二回旋が正常化する気配がなかったのであるから、原告花子に血尿が見られた段階において急速遂娩の適応があったことは明らかである。もっとも、《証拠省略》には、血尿は正常な経膣分娩の進行中に導尿した場合にも見られる現象であり、本件は胎児切迫仮死の状態ではなかったので、なお回旋の正常化を待つことができたかもしれないし、そうすることによって正常化したかもしれないとの部分があるけれども、たとえ血尿をもって膀胱膣瘻等の前兆ととらえた被告小畑の認識が必ずしも的をえたものではなく、更に回旋の正常化を待つ余地があったとしても、右認定事実によれば、原告花子に血尿が見られた段階において、急速遂娩の適応があったと認められる以上、そのように判断した被告小畑に産科医としての注意義務違反があったとはいえない。
(2) そこで、被告小畑が鉗子分娩術を選択したことの適否について判断する。先に認定したとおり、被告小畑が右手術に着手した時点で、子宮口は全開大しており、それ以前に既に人口破膜があり、明らかなC・P・Dは存在していなかった。
そして、前認定(二)の事実に、《証拠省略》によれば、胎児は十分に成熟しており、児頭には異常もなかったこと、児頭の位置は、骨盤濶部に下降していたこと、鉗子分娩において右眼の上に傷がつきやすいのは胎児の背中が母体の左側を向いている場合(第一胎向)であり、原告一郎の鉗子による圧痕が右額(右眼の上)に存在することからすれば、第一胎向であった児頭の第二回旋が不完全な状態であったところへ鉗子がかけられたと推測されること(《証拠判断省略》)、鉗子のかかった場所が眼の付近だったのは、右のような回旋の状態が原因であり、児頭の位置が高かったことを示すものではないことが認められる。
そうだとすると、被告小畑が鉗子分娩の方法を選択したことには、その手術が許される条件のすべてを満たしていたものと解せられる。したがって、被告小畑が帝王切開術を採用しないで鉗子分娩術を選択したことには誤りはなく、適切な処置であったといえる。
4 原告らは、第四に、被告小畑の鉗子操作の方法に過失があったと主張する。
(一) 《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。
(1) 鉗子は鉄製で左右対称形の二葉から成り、両葉が交差し連結する部分を接合部という。鉗子の挿入は左葉、右葉の順に片葉ずつ行い、挿入完了後に接合部を閉合して児頭に装着し、抜くときにはそれと反対の手順を踏む。眼球を含む顔面への損傷を避け、また滑脱を防ぐためには、鉗子が児頭の左右側頭部を均等に把持するように両耳あたりにかけるのが理想的であり、眼の付近は避けるべきである。
(2) 回旋が正常に進行している場合には、児頭は母体の背中側を向いているので、鉗子は左右に挿入・装着すればよいが、そうでない場合には、鉗子を児頭に正しく装着し、正しい方向に牽引するために、鉗子分娩術施術前に児頭の回旋状態及び児頭の高さを内診により確認する必要がある。第二回旋の段階で目視しうるのは児頭のごく一部であるため、右確認は主として触診に頼らざるを得ず、右確認の具体的方法としては児頭の矢状縫合(頭蓋のうち左右の頭頂骨の間の結合部)、大泉門(前頭骨と頭頂骨の間の結合組織)、小泉門(頭頂骨と後頭骨の間の結合組織)、両耳を確認するしかないが、触診でもって正確に児頭の回旋状態及び児頭の位置を確認することは困難である。のみならず、児頭には狭い産道を通るときに産瘤という瘤ができるため、いっそう児頭の向きを把握することは困難であり、とくに分娩が遷延すると産瘤は通常よりも大きくなるので児頭の状態を正確に把握することはなおさら困難となる。また、子宮口と胎児との間に指を入れて耳の向きから児頭の向きを探ることも可能だが、鉗子よりも太い指を入れる作業は困難であるばかりか、下降してきた胎児を指の入る隙間ができるまで押し上げることになるため、抜指後、再び確認した向きで児頭が降りてくるとは限らず、そこまでするメリットはない。更に、鉗子をかけた状態で超音波なりレントゲンをあてることも不可能ではないが、超音波が鉗子に反射し、児頭の鼻や目の像の判別が難しく、その結果から児頭を把握することは困難であるばかりか、相当の時間を要するため、かえって胎児の状態を悪化させるおそれすらある。また、仮に正確に児頭の向きを把握できたとしても、児頭が横や斜めを向いているからといって鉗子を上下あるいは斜めに装着するのは困難である。このような事情から、教科書的には児頭の向きを確認して鉗子が児頭の側頭部にかかるようにすべきとされているものの、現実的には鉗子を左右にしてもっとも入りやすいところに挿入するのが、経験則上一番安全とされている。その場合でも児頭の状態が正確に把握されているわけではないので児頭に回旋異常があるときには鉗子が眼球付近にかかることもあり、また、児頭の眼球付近の損傷を避けるべく必要な注意を怠らなかったとしても、鉗子と児頭の大きさの関係から牽引中に鉗子の位置が多少ずれたり、あるいは、鉗子の牽引に伴う児頭の下降により鉗子内で児頭が回旋したりして鉗子が児頭の眼の付近にかかることを回避しえない場合がある。特に、産瘤が大きいと鉗子が耳まで達しないことが多く、結果的に眼の付近に鉗子がかかることがある。
(3) 鉗子の牽引は陣痛の発来にあわせておこない、平均的には二回から三回の牽引で娩出に至るが、いったん鉗子を装着した後、更に牽引しやすい場所を求め、あるいは鉗子のあたる箇所をずらすことによって損傷を少なくする目的で、鉗子のあたる場所を故意に動かすこともある。回旋異常の場合には、鉗子が児頭と一緒に回る場合があり、かかる場合には上下になった状態でそのまま牽引しては危険なので、鉗子をいったんはずして再び装着する。接合部を閉合した状態で鉗子の片葉のみが児頭からはずれることはありえないが、余分な力を加えないために牽引時以外は結合部をわざとはずしておくこともあり、仮に結合部をはずした状態で牽引したとしても産道に沿って鉗子が抜けるだけで損傷の原因とはなりにくく、接合部を閉合した状態で、牽引中に鉗子が児頭から滑脱した場合には、後方滑脱では母体に子宮破裂等の大きな裂傷が生じて大量出血を伴い、輸血や縫合等の処置が必要となり、また、先方滑脱では通常胎児に大きな表皮剥離を伴うなど、母体ないし胎児に重大な損傷を与える。胎児が出口部分まで下降した後は、鉗子を外す時機を失すると胎児に損傷を与えるおそれがある。なお、児頭の鉗子がかけられた部分に圧痕や表皮剥離を伴うのが普通である。
以上の事実を認めることができる。
(二) そして、《証拠省略》によれば、本件分娩では分娩第二期が遷延し、九月二一日午前一一時三〇分ころの子宮口全開大から一時間五〇分経過しても児頭が骨盤濶部から下降せず、児頭の産瘤が著しかったこと、本件鉗子分娩では、被告小畑が鉗子の操作を担当し、触診により児頭の矢状縫合等から児頭の位置と回旋の状態を検査したうえ、同日午後一時二四分鉗子分娩に着手したが、鉗子装着に際し、被告小畑は児頭の回旋異常があるため児頭の両耳から鉗子がずれて装着されることは覚悟していたが、理想的な装着部位からそれほど離れているという認識はなかったこと、被告小畑は鉗子に牽引バンドを装填して腰の力で牽引する方法を採り、まず、原告花子の陣痛発作に合わせて二回牽引し、牽引に伴う児頭の回旋に合わせて鉗子をかけ直し、再び陣痛発作に合わせて更に二回牽引したこと、その結果、児頭は骨盤の出口部まで下降し、更に牽引すると母体の産道等に損傷を与える危険があったので鉗子を抜去したこと、それでも児頭が自然分娩により娩出しなかったため、更に吸引を一回実施し、同日午後一時三九分、原告一郎の分娩を完了したこと、本件分娩では原告花子の産道等には何らの損傷も認められず、分娩の際の出血も殆んどなかったこと、牽引開始から出産まで約一五分を要したが、異常に長い鉗子分娩とは言えず中程度の難易度であったこと、原告一郎は低酸素症による第二度の仮死状態で出生し、右眼の上縁部分とそれに相対して左耳の後の部分に鉗子による圧挫痕と表皮剥離がみられた(右眼の上縁部分の圧痕は鉗子の先端二センチメートルの部分による圧挫痕である。)こと、出生時から原告一郎の右眼球の角膜が白く混濁していたが、右眼の眼瞼や角膜自体には外傷は見当たらず、鉗子による直接の圧迫に伴う充血等の刺激反応もなかったこと、原告一郎の右眼球の角膜混濁は、その後眼科で治療を受けたものの解消していないこと、本件分娩において仮に牽引中に鉗子が滑脱した場合には、原告一郎の右眼の上縁と左耳の後に残存する圧痕の程度に止まらず、児頭に極めて重い損傷を与えることが認められる。右認定に反する証拠はない。
《証拠判断省略》
右認定によれば、原告一郎の娩出の際、右眼の上縁部分とそれに相対して左耳の後の部分に、鉗子による圧挫痕と表皮剥離が存在していたのであるから、結果的に鉗子が耳まで到達せず、かつ鉗子が右眼の上縁部分に装着されていたものと推認することができる。しかし、児頭に回旋異常があり、かつ児頭の産瘤が顕著な場合に、触診により児頭の位置と回旋の状態を把握することは非常に困難であり、結果的に鉗子が耳まで到達せず、眼の付近に鉗子が装着されることを回避しえない場合も多々ありうるのであって、右認定のとおり、本件分娩は児頭の回旋が異常で、児頭の産瘤が顕著であった場合であるから、被告小畑が結果的に原告一郎の右眼の上縁部分とそれに相対して左耳の後の部分に鉗子を装着したことをもって適切を欠いたものと断定することはできないであろう。
次に、鉗子の滑脱の存否について検討するが、右認定のとおり、牽引中に鉗子が後方に滑脱した場合、母体に子宮破裂等の大きな裂傷が生じて大量出血を伴い、輸血や縫合等の処置が必要になるが、これに関する記録が残されておらず、後方滑脱を認めるに足りる証拠はない。また、先方に滑脱した場合には、通常胎児に大きな表皮剥離を生ずるのであるが、原告一郎に先方滑脱を推認させるような表皮剥離が存在したことを認めるに足りる証拠はない。また、鉗子と児頭の大きさの関係から牽引中に鉗子の位置がずれたり、あるいは、牽引に伴う児頭の下降により鉗子内で児頭が回旋したりして鉗子が眼にかかる場合もありうるが、本件の全証拠を精査してもかかる事実は認められない。
《証拠省略》中には、被告小畑は鉗子分娩術開始直後他の分娩介助者に対し鉗子が外れていると大声を発した旨の供述部分があるが、右認定のとおり、児頭に無用な圧力を加えないために牽引時以外鉗子の接合部を外しておくこともあり、また、牽引中の鉗子の滑脱あるいは鉗子のずれを認めるに足りる証拠がないことは前述のとおりであるから、そのことから直ちに、鉗子の操作に誤りがあったとはいえない。
5 以上要するに、被告小畑には過失があったとはいえないから、その余の点について判断するまでもなく、原告らの請求は理由がない。
五 よって、原告らの請求をいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 大澤巖 裁判官 木下徹信 萩本修)